長野県鋳物工業協同組合の前身は太平洋戦争中、統制工業組合として発足し、県下鋳鉄鋳物製造業に携わる全業者が加盟し上田市にて活動を開始した。その頃の組合業務は、統制物資(銑鉄、コークス、ヘラなどの鋳物づくり用工具)の配給や軍需品の共同受注事業などが主な仕事とであったと伝えられています。
その後、国内の混乱期を迎え組合の維持も困難となり、昭和24年(1949年)遂に休眠状態に追い込まれた経緯があります。そして、昭和27年(1952年)混迷の日本経済も次第に復興し、組合の再興の機運も高まり、当時の若手鋳物業者の必死の努力で再興をはかったものの、翌年再び休眠状態にならざるを得ない状況に追い込まれました。
そして、昭和31年(1956年)当時中央団体と命脈を保っていた濱鉄夫氏はじめ同業有志のもと松本市飯田町に事務所を設けようやく再興し新たな長野県鋳物工業協同組合が発足しました。
以来幾たびかの好不況のなか、(残念ながら時代の波に呑み込まれた会員もあったが)、残った組合員は常に変わらない結束のもと、各種の不況を乗り越えてきました。その後昭和44年(1969年)事務所は松本市村井に耐候性鉄骨構造事務所を新築完成し、県内鋳物事業発展のため各種の事業
(1)鋳造に関する製造技術の指導、教育
(2)情報の収集と提供及び調査研究
(3)構造改善事業に関する企画始動及び推進
(4)銑鉄鋳物の原材料の購買業務
などを行なってきました。
その後、事務所は松本市の区画整理地域となり、最終的には代替地として、松本市中央4丁目5番35号に鋳物会館ビルを完成し、今日に至っています。
この様に当鋳物組合は幾多の変わりゆく時代の中を組合としての役目を果たしつつ、今日まで継続してきました。その様な中、時代も移り変わり今では鋳物をはじめとする素形材産業は重要な「川中産業」として位置づけられ、日本の自動車、建設機械、工作機械をはじめ世界に認められる"モノづくりを担うサポーティングインダストリー"として、その重要性が認められています。今後も激しく変化する時代の中、長野県鋳物工業協同組合は、"早く確かな情報を発信する"という役目を担いつつ、県内の鋳物事業の発展に組合としての役目を果たしていきます。
名称 | 長野県鋳物工業協同組合 |
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所在地 | 〒390-0811 長野県松本市中央4丁目5番35号 鋳物会館ビル |
現在連絡先 | 〒399-0702 長野県塩尻市広丘野村1048番地 (株)ヤマトインテック内 TEL 0263-52-0626 FAX 0263-52-9883 |
事務局 | 富田 錬太郎 |
tomita.r@yamato-intec.com | |
参加団体 | 社団法人日本鋳造協会、長野県中小企業団体中央会 |
組合役員 |
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